静岡の漆の歴史は弥生時代から静岡の漆文化に触れる

静岡の漆の歴史は弥生時代から静岡の漆文化に触れる

行先

金剛石目塗 鳥羽漆芸
駿河塗下駄工房 佐野成三郎

概要

静岡市には今から約2000年前、人々が平和に暮らしていた弥生時代の遺跡があります。
この登呂遺跡の水田遺構は「弥生時代は稲作」が定説となったきっかけです。
遺構とともに多くの出土品がある中、漆が塗られた琴が発掘されています。
「漆」は太古の昔からわたしたちと関りがあったようです。
今に伝わる漆の文化は江戸時代に花開き、1867年パリ万国博覧会に出品され、明治時代には輸出産業として発展しました。
駿河漆器の歴史は今川氏の頃から始まり静岡浅間神社の造営が大きくかかわっているようです。

鳥羽漆芸は駿河漆器の伝統を守り、さらに新しい技法を取り入れています。
初代鳥羽清一氏が発案した「金剛石目塗」は漆器製作に砂を使う独自の技法、金剛石(ダイヤモンド)のように硬い石目肌の塗り物という意味です。
金剛石目塗は、伝統的漆器づくりの伝承、独創的な技法の開発や製品の美しさなどが評価され、静岡県の無形文化財に指定されています。
最近は伝統産業に新しい技法を加え、漆とガラスを組み合わせたワイングラスを製作しています。

金剛石目塗 鳥羽漆芸

「駿河塗下駄工房 佐野」を営む佐野成三郎さんは、静岡で唯一の「沈金彫り」を得意とし、業界の第一人者であり、その卓越した技能が「現代の名工」として表彰されています。
駿河塗下駄の歴史は江戸時代には武家階級や裕福な人達の履物でしたが、明治時代に静岡下駄業界発展に尽くした職人、本間久次郎さんの功績が塗下駄の発祥となり、全国に売り出すことになったようです。
駿河塗下駄には、駿河漆器の「変わり塗り」の技術が応用されています。
第一次世界大戦後、駿河漆器の輸出が滞り、多くの漆器職人が駿河塗下駄づくりに転職したことです。
駿河塗下駄の特徴は、漆塗り、蒔絵などで施される艶やかな色彩とユニークなデザインです。
佐野成三郎が製作する駿河塗下駄は国産の桐を材料にしています。
中でも『卵殻貼り』は多くて50の工程があり、1足を完成させるまでに1年半かかります。
年間で完成させるのは10足に満たないです。
伝統技法を半世紀以上守り続けた、佐野成三郎さんの作り出す、漆塗と蒔絵の美しい色彩と独特なデザインの塗下駄は一級の芸術品として多くの人を魅了しています。

駿河塗下駄工房 佐野

行程

静岡駅(10:00) === (10:10)金剛石目塗 鳥羽漆芸(11:30) === (12:00)丁子屋(昼食)(13:00) === (13:30)駿河塗下駄工房 佐野成三郎(14:30) === (15:00)静岡駅

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